
人間の記憶なんてアテにならぬものである。
「釣り歴はどれくらいに…」
よく、聞かれるたびに私は
「本格的に釣りにのめりこんでから40年になります」
と、答えていた。
左の写真が、私の人生も、生きざままで変えてしまった生まれてはじめての磯釣りで釣り上げた、その年の関西記録になった大グレである。
一尺七寸、五百二十匁、ハリスはライカの四厘柄だった。
当時は釣りの世界まだ尺貫法で、現代風では51.5cm、1.96kg、ハリスは4号である。
私はこの 大グレ(※)※グレはメジナを釣ったのは私が結婚する前の昭和27年も年末の12月30日と思いこんでいた。
ところが女房どのは、この写真の私が着ているカーディガンを見て
「英人クンの誕生祝いにもらった毛糸の余りで、あなたのお姉さんに編んでもらったもの。結婚したあとだ」
と、言いはるのである。
「そんなハズはない」
と、私はがんばっていたのだが、この自伝を書くために古い資料を整理していたら、魚拓の写真が出てきた。
女房どのの記憶が正しくて、
「昭和31年12月30日午前8時半ごろ、於阿波大島オカマ磯」と自分で書いてあった。
私は「釣り天国」阿波の徳島産。もの心ついた頃から釣りをしていたが、現在の徳島大学工学部(当時は徳島工専)を卒業して徳島新聞に入ったので23歳まで徳島にいながら、牟岐のグレ釣りには出かけたことがなかった。
釣りを思い出したのは昭和26年に毎日新聞に移ってからである。
当時私は毎日新聞の阪神支局にいた。
昭和29年の秋、阪神電車の武庫川駅の電車の中から、武庫川でハゼを釣る人を見て、むしょうにハゼが懐かしくて、そのまま降りて、竹竿と仕掛け一式にゴカイを買って久しぶりにハゼを釣った。
たちまち、釣りのトリコになってしまった。
ハゼが終わると寒ボラ(※)※寒ボラ、冬に脂がのり美味しくなったボラ。そして大阪港の朝バネ(※)※ハネとはスズキの若魚、
大阪港で早朝の暗いうちから
明るくなる一時を狙う釣りを
朝バネ釣りという、神戸の東風除の波止のチヌ(※)※チヌはクロダイ釣り…と、休みの日には竿をかついで近場を釣り歩きはじめた。
当時の阪神支局長の八木忠さんは、私と同じ徳島出身。中学(旧制徳島中学)の先輩でもあったが、徳島支局長時代に牟岐大島のグレ釣りに通いつめた釣りキチだった。
「小西よ、ハゼなんか釣りのうちには入らん。グレ釣りほどおもしろい釣りはない。道具一式は余分があるから、今度の正月休みにいっしょに連れていってやろう」
と誘われた。
もちろん私は二つ返事。
八木先輩は五三竹の2本継ぎ二間半の阿波のグレ竿、女竹の2本継ぎの受けダマ、それに五段カゴのグレ道具一式をプレゼントしてくれた。
自前のものは、当時発売されたばかりのオリムピックの赤い100mmAの横転式のタイコリールだけであった。
八木先輩などは、使いなれた阿波の木ゴマリール。
近代的なリールのなかった時代から、阿波だけに本格的な磯釣りが存在したのは、この木ゴマリールがあったからであろう。
でも、はじめての私には木ゴマリールは難しいので、リールだけは新調した。

背中に背負う、富山の薬売りのような竹の五段カゴも、グレ釣りのための阿波の釣り人のチエだった。
「グレ釣りには活きたシラサエビが一日に二升」が、昔から阿波のグレ釣法だった。
エビを活かしたまま、大量に持つには、桐のオガクズにまぶして、五段の竹カゴに薄く並べるのが最良の手だった。
これだけめんどうを見てくれた八木先輩なのに、牟岐大島の磯に着いたら
「小西はここに上がれ」
と、私ひとり磯に上げて、自分はさっさと別の磯に乗ってしまった。
生まれてはじめての磯釣り。当然八木先輩もいっしょの磯であれこれ教えてくれることと思いこんでいた私は、あっ気にとられた。
「ヘタクソといしょに上がってグレをバラされると、せっかくマキエで集めたグレが散ってしまう」
ということで、当時の牟岐のグレ釣りでは、初心者はひとりで磯にほうり上げる…のが指南の常道ということは、あとで八木先輩から聞かされた。
「ウキはスパッと消えるから」
と聞いていたのに、陽が上がってもそのまま。
オカマというのは本島の南側の地磯では足場は高い。
ピンクの玉ウキの色が薄くなったので、斜めにすかして見たらもう50cmもけしこんでいた。
沈んだウキがまだ見える、こんな水の透明なところで釣ったのははじめてで、あわてて竿を立てた。
なにせグレのような強い引きの魚はまだ釣ったことがない。
どれくらい大きいか、見当もつかない。
巻くより、逆転して出る方が多いので、ストップを入れた。
あとは、ひたすら巻く一方である。
このグレで、当時は関西で唯一の釣り雑誌(といってもまだタブロイドの新聞時代)の「釣の友」のグレ年間記録賞をもらってしまった
その時に「釣の友」(昭和32年2月1日発行の72号)に私が「あわて取りの法」というタイトルでこの初グレのことを書いている。
「荒磯に育ったグレは疲れを知らぬ魚だから、弱らせてとろうというのは通用しない。グレを驚かせて暴れられないように掛け合わせは軽く、一気に水面に浮かせて空気を吸わせるのがコツ−“阿波のつり”の中の“グレの早取り法”なる一文を、牟岐までの列車中に一夜づけて読んだが、そんなことを思い出すひまはない。竿を思い切りしゃくりあげたのだが、道糸が出すぎていたので最後の方でチョンとかけただけ。武庫川尻や芦屋仕込みのカンでは何分スケールがダンチなので、引きだけでは見当つこうはずもなく、こんな大物とは知らぬが仏。わずか5,6分でがむしゃらに引きあげた“あわて取り”が、後から考えてみると、くだんの“早取り法”の理に偶然かなっていたというわけで、まさにケガの功名」
私が、はじめて書いた釣りの文章である。

牟岐には尾長グレ(※)※尾長グレはクロメジナはいなくて口太(※)※口太はメジナだけである。
グレが60cmをこえるのは、それからほぼ10年後、城辺(西海)の尾長の大グレ場を私たちが開拓してから…である。
現在でも、牟岐で51.5cmの口太はめったに釣れない。
初めての荒磯釣り。それもひとりでほうり上げられた私が、こんな大グレを仕とめられたのはまさにマグレである。
人生には、いろんな「出会い」がある。
私がもし、初磯でこのグレに出会わなかったとしたら、週刊釣りサンデーも、この世にうまれていなかったはずである。