
磯靴をていねいに履いて足首を締める。尻あてをして、腰にナイフを吊るす。救命胴衣を着て、しっかりと股紐を締める。
さて、一丁上がり。
心は、ぴりぴりぴりぴり引き締まる。体は、ぷるぷるぷるぷる興奮している。
さあ、磯釣り。
夜明け前の港、潮の香をかぎながら、渡船を目の前に、身支度を整えているひとときが好きだ。
ほんとうは、磯足袋の小ハゼをひとつひとつとめていきたいのだが、そういう物はなくなってしまって久しい。
とにかく。
ちょっと眠くて弛緩している心身を、ちょっとずつちょっとずつ整えながら高めて、緊張しきったとき、しゃきっとしたとき、俺は最高の磯釣り師、俺は最高の男なのだと誇らしくなる。
力が漲ってくる。
荒磯の身支度は、人が荒々しい自然にはいるためのセレモニーなのだ。
都会でも日々緊張して生きている。
コンクリートジャングルにはコンクリートジャングルの掟があり、男には七人の敵がいて、いつも緊張を強いられる。
ぴいいん張りつめて、ぷっつん切れそうになったら海にいく。
世間で人で、擦り切れそうになった緊張の糸を、海で磯で、鍛えなおしてやるのだ。
自然は公平で冷酷な敵である。社会は不正で人情のある敵である。
かの漱石先生は書いた。
そう、社会は不正に満ちているかもしれないが、情はある。海は公明正大であるが、無情である。わけもへだてもなく、いつ襲ってくるかわからない。悩みもなければ、戸惑いもなく、影のように忍び、一瞬のすきをついて、命をとることのできる最高のスナイパーにもなるのだ。
海というやつは。
沖磯は南からの使者を迎え、陽気に騒いでいる。熱帯からはるばるやってきたうねりは、浅い海をかきまぜ、磯にぶつかり、ためにためてきたエネルギーを一気に放出する。
それは、ときに、どきっとするほど大きく、まぶしいほど白い波だった。
台風は北緯二十度線をこえ、着々と近づきつつあった。
二十度線をこえるということは、日本のすべての釣り人に対する警戒警報である。台風は、はるか南にいても、先鋒の波は、日本沿岸を襲う。
じゃん、じゃん、じゃん、じゃん、じゃん、じゃん…。
釣り人にしか聞こえない半鐘が鳴っている。
ときどき響き渡る大波がくる。
その大波の響きと響きの間隔が、だんだんだんだん短くなる。台風は近づいているようだ。
嵐の予感に急きたてられて、竿を振る。きょうは昼前に早上がりになるかもしれない。時間はないぞ。
魚も。
嵐の予感に急きたてられて、餌を追わないか、無茶食いしないか。
目は浮子を凝視し、耳は波音に澄ます。とにかく五官を針のように研ぎ澄まし、小さな磯にとりついている。
つんつん!
?????
すぽん!!
!!!!!
やったあ!
ものの見事に浮子が入った!
ぐいいいいいいぃぃぃぃぃぃんと赤い浮子が群青の底に吸いこまれていった。
上物釣りは、見るエクスタシーである。
これほど官能的に浮子が入ると、上物師は何もいえない。何もいらない。一瞬のエクスタシーにひたる。
がああん!
竿は満月に引きこまれ、脳幹を直撃するような見事な手応えを感じる。
ああああ。
このために生きてきたのだ。
ごっごごっごごごごっごごっごごごっごっごごごごっ。
?????
引きこんだあとが、なにか粗雑である。下品である。おかしい。
?????
なんだなんだ。
!!!!!
やはり!
三公であった。
みんなの注目を浴び、緊張の真ん中にいたのに、一瞬で緩んだ。
わははははははははは。
大メジナであると、緊張感は続くかもしれないけど、三公だと、みんなが平和になる。自慢もできないし、羨ましくもない。それが釣り師の平和である。
三公、三の字とか呼ばれる平和の主は…。
ニザダイである。
やはり。
昼前に撤収、渡船が迎えにきた。
ニザダイ1尾である。
港に上がる。
ぐうたらぐうたらぐうたらぐうたら。
磯靴、尻あて、救命胴衣、すべて取り去り、裸足でぐうたらぐうたらする。思いきり心身を弛緩させる。
ああ、この虚脱感を味わいたくて磯釣りをするのであった。
ニザダイは、大いなるおまけであった。